15砂の城

砂の城 2015年8月8日(土)の築城レポート

「小潮」で築城の場所選びに迷う

 今年の梅雨は雨続きで、大降りの日も多かった。西日本では洪水や土砂崩れにより大きな被害が出たという。だが、7月末に明けると一変し、大変な暑さとなった。東京は7月31日から8日間連続で猛暑日(35℃以上)を記録し、築城予定の8日(土曜)も、どうなることかと心配された。
 幸いにも「曇り、ときどき晴れ」という予報で、胸を撫でおろしたのだが、当日になってみれば、雲はあるものの日差しは強烈で、「晴れ、ときどき曇り」状態だった。
 先着した笠井は、日陰なしには危険と判断し、業者から大きなパラソルとゴザを借りて基地とした。ほぼ時間通りに幸山副会長とパタ先生、イラストレーターの野田ちゃん、同じくイラストレーターの浜野先生が到着。少し遅れてトシモト社中(トシモト、綿貫、山田)がやってきた。今年はトシモトのフィアンセ・タカヨちゃんも勇躍参加。
 まずは持参のビールを飲んだり、ランチを食べたりしながら、笠井が描いた(例年、決してその通りにはならない)完成予想図を検討。その際、大きな疑問が生じた。浜をよく見ると、砂浜の濡れ跡と、波打ち際の距離が妙に近いのだ。通常、城は濡れ跡のいちばん先端(陸側)、つまり、夕刻、潮が満ちてきたとき、波に洗われるであろう位置につくるのをベストとする。波によって崩壊する城の姿を見ることができるからだ。濡れ跡と波打ち際が10mもないのでは、いつ大波に襲われるかわからないではないか。
 パラソルを借りた業者のおじさんに聞いてみると、いまは“小潮”の時期で、干満の差がほとんどないということだった。これは初めての経験だ。塗れ跡の5mほど陸側に複数のパラソルを深く打ち込んでいる業者の言うことだから信じてもいいだろう。大事な商品を波にさらわれる場所に置くバカはいない。
 ということで、濡れ跡と乾いた砂が交わる線をまたぐような地点に築城することとなった。

初参加女性の“足技”に感服

 土台の砂山造りには複雑家庭の三男トシモトが大活躍。怒りを込めて振り上げたスコップで、どんどん砂を積み上げていく。そこにバケツで冷水を浴びせるのは温厚な山田、冷笑を浴びせるのがシニカル綿貫だ。
 積み上げた砂山は皆で踏み固めていく。踏み固めのコツは、山腹の斜面を上から下へと、まっすぐ小刻みに踏んでいくこと。きちんとやれば、足跡が美しいストライプ模様になるのだが、理解できていないメンバーも多いようだ。そんななか、フィアンセ・タカヨちゃんの足跡は群を抜いて美しい。初参加なのに、なぜ?
 理由がある。7月25〜26日に伊豆白浜で行なわれた「ピンクダイナマイツ(バスケットボールクラブ)」の夏合宿に、トシモトとタカヨちゃんも参加していたのだ。このクラブは笠井が副会長を務めており、例年、小手調べに小さな砂の城をつくる。その制作過程で、笠井がタカヨちゃんに踏み固め術を伝授していたのだ。師の教えを忠実に守ったタカヨちゃんは偉い!
 さて、今年の城は、正面にメインタワーが1本と大階段。側面はV字型に大きく切り込み、敵に十字砲火を浴びせる構造を考えた。そして、後方には角型の張出しをつくりサブのタワーを立てる。
 いつものように、正面の階段と、技術を要する胸壁は幸山副会長が担当し、左側面は浜野先生と山田、右側面はパタ先生と野田ちゃん、後方をトシモト、タカヨちゃん、シニカル綿貫が受け持つことになった。タカヨちゃんを除けば全員がベテランであるし、比較的経験の浅い浜野先生と野田ちゃんもプロのイラストレーターだから、カンどころはつかんでいる。作業は順調に進んでいった。

若い力でトンネル開削の難工事を完遂

 7割方できたところで新しい動きがあった。トシモト社中が、後方の離れた場所に円筒形の出城を築き、その上に第3のタワーを屹立させたのだ。さらに出城と本城を結ぶ通路を造成し、下部に大きなトンネルを開削した。以前より会長・笠井は、トンネル開削に否定的だった。崩落の危険性がきわめて高く、ひとたび崩落するとみじめな結末をもたらすからだ。
 だが、トシモト社中のノウハウ蓄積は予想を超えていた。おそらくは粘性のある砂の採取と、効果的な水かけ、踏み固めの徹底によって、困難を克服したのだろう。「無謀」「愚挙」とさえ思えた開削作業が、若い力と情熱によって立派に成し遂げられたのだった。
 また、右側面もかなり凝った造りとなった。毎年、「テルマエ」づくりに執念を燃やすパタ先生と野田ちゃんが、今年も大いにがんばって、随所に新しいコンセプトを打ち出したのだ。
 心配していた波は、時折、城の足元まで押し寄せてきたが、トシモト社中が築いた堤防の効果もあり、大きな影響はなかった。ただ、一度だけ大波がきて、下から10cmほどが洗い流されてしまった。次がなかったので、これについては修復ができた。
 かくして4時前には完成。笠井が、風上から白砂を飛ばして城に化粧をほどこす、得意の「時代がけ」の技によって、いちだんと見栄えのよいものになった。
「いままででいちばん出来がいいんじゃないの?」とパタ先生がつぶやく。確かにスケール感があるし、細部のつくりに工夫があり、バランスも悪くない。いちばんかどうかはともかく、トップクラスの仕上がりになったことは間違いないだろう。
 満足感にひたってビールを飲んだり、写真を撮ったりしていると、例によってギャラリーが寄ってきて、「写真を撮ってもいいか?」とか「これは何の城?」とか聞いてくる。外国人が多いのも、いつも通りだ。この機会に「江の城会」の好感度を高め、サイトへの検索数を増やすのは会長の務めと心得ている笠井は、極力、笑顔で愛想よく応対するようにしている。
 古い話になるが、築城に何回か参加し、「ピンクダイナマイツ(バスケットボールクラブ)」の飲み会などにもしばし顔を出していたイラン人オミディも、もとはといえば、この海岸で城を見て、声をかけてきたのが最初だったのである。いまはイランに戻り、何をしているのだろう? その後、便りもよこさないことから、「忘恩イラン人オミディ」と呼ばれているが…。

海を一望するテラスで打上げ

「小潮」というのはよくわからない。一度は満ちてきて城の足元まで洗ったのに、そこから寄せもせず、引きもせず、のたりのたりとしているのだ。
 トシモト社中は、予定があるので引き上げるという。予定というのは「東京湾岸花火大会」。オリンピック工事などの関係で中止となり、今年はその最終回なのだ。複雑家庭ではあるが、トシモトの実家は湾岸にビルを所有しており(だから複雑なのかナ?)、その上階に住まっている。家族・親族・友人を招いて花火を楽しむのが恒例となっているとか。今年が最後とあれば、それもやむを得まい。
 結局のところ波はこない。崩壊は見られそうもない。少し早いが撤収することにした。時間が早いということで、打ち上げをする店の選択肢が増えた。笠井は、先日、幼児向け雑誌撮影の打ち上げに訪れた、江の島島内の店を提案したが、幸山副会長が目をつけていた「江ノ島小屋」という店も検討することにする。その店は島へ渡る橋の手前にあるので先に行ってみた。
 “小屋”というようなものではなく、あえて板張りにしてあるものの、大きく立派な、しかも今風にオシャレな店構えだった。開店前だったが、逆にいまなら良い席が予約できるとのことで、15分ほど待つことにする。通された席は海を望む木造のテラス。これはラッキー! メニューも“小屋”という素朴なものとは程遠い、いま風に洗練されたもので、それぞれがおいしかった。
 何故かトシモト社中からこぼれた山田、パタ先生と野田ちゃん、浜野先生、そして幸山副会長と笠井。暮れゆく海を眺めながら、話が尽きることはなかった。

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砂の城ムービー(撮影:Pata)
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Text:N.Kasai

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