日本の城,ついに成る!

2006年8月6日(日)の築城レポート

 04年、05年と、日本の城に挑戦してきたが、結果は満足できるものではなかった。04年は途中で中央部が崩落、情けないプロポーションになってしまった。05年は、横から見れば何とか形になっていたが、正面がもったりした印象で、中国かどこかの古寺のようだった。
 そこで今年は、いままでと違う工法を試みることにした。従来のように、砂山の上部を平らにして、バケツでタワー状に型をとるのではなく、最初から、きっちりピラミッド状に踏み固めた山をつくり、斜面をそのまま屋根として残す。そして、奧に彫り込む形で建物の壁面や窓をつくりだすという方法である。むろん、これでうまくいくという確信はない。一抹の不安を胸に海岸へ向かった。
 当日は朝から気温が上昇していた。関東地方は梅雨がなかなか明けず、冷害が心配されるほど涼しい日々が続いていた。夏休みになって初めて本格的な暑さを迎えた日曜日だったことから、江ノ島海岸は大変な人出となった。去年まで築城していた辺りには、まったく余地がない。やむなく100m近くも鵠沼寄りに場所を移すことになった。
 時間厳守を伝達しておいたため、集まりは比較的よかった。イラストレーターの山本祥子、特別会員の幸山義昭が先着。少し遅れて、村上祥子が新人3名(河村克英・安井友香・邑上卓洋)を連れて到着した。その後、PATA、前田、永瀬(知人母子同伴)がやってきて、これが、一応制作に参加したメンバーのすべてとなった(夕方近く怪僧吉田と共同印刷成毛が遅参)。
砂の城をつくる人1 基礎固めは例年になく入念に行われた。しっかりしたピラミッドを築かなければ成功はおぼつかない。汲んできた水をかけながら、大股を開いて斜面を蹴り固める。これは相当につらい作業なので、ごまかして手抜き(足抜き?)しようとする者も出る。叱咤激励しながら、およそ1時間で山ができあがった。
砂の城をつくる人2 その後は、笠井・幸山・村上・PATAといった古参会員が、それぞれの方面で大まかな形を削り出し、徐々に形を整えていく。細部の削り込みに入ると、新人も分担部署に取りかかり、徐々に城らしくなっていった。そんななか、初参加・山本祥子の丁寧な仕事ぶりが目立った。さすがイラストレーター。
さて、今年は海岸がことのほか混んでいたせいもあって、満潮を見極めるのがむずかしかった。築城中に波が迫ってきて、若手は早くから堤防づくりに追われる羽目となった。その堤防の効果と、周囲よりわずかに高い場所であったことが幸いして、昨年のように、作業中に波が足元を洗う、いわゆる「モン・サン・ミッシェル事態」には至らず、なんとか完成にこぎつけることができた。
あらためて前後左右から眺めてみると、なかなかの完成度で、「ついに日本の城をつくることができた!」という満足感がじんわりと湧いてきた。5年前までは「とうてい無理」とあきらめており、2前はみじめに失敗した。毎年、つくり方を変えて、ようやくの達成である。
「スゴ過ぎる〜」「プロですか〜?」という称賛の声を浴びながら、一同は少しぬるくなったビールの缶を片手に、至福のひとときを味わったのだった。
砂の城をつくる人3 波による崩落を見届けて、江ノ島駅前の蕎麦屋で恒例の打ち上げ。来年からは、また、西洋の城の新シリーズに挑戦することを誓いつつ、宴は遅くまで続いた。 雲

砂の城

2006年 砂の城フォトアルバム

砂の城アルバム

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砂の城スタッフ

今年の参加者。(後列左から)同伴少年A、PATA(唄うイラストレーター)、永瀬(元スーパー秘書)、前田(葬祭場のマドンナ)、安井(セカンドサイドの女)、村上(もっこすデザイナー)、山本(イラストレーター)、邑上(セカンドサイドの男)、(前列左から)会長・笠井、特別会員・幸山、河村(特殊紙を売る青年)

Text:N.Kasai

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