今年の城

砂の城 2010年8月7日(土)のレポート

 今年の梅雨は雨が多く、湿度は高いが気温は低めだった。しかし、明けたその日から猛暑が襲ってきて、気温35度を超える日が続いたため、熱射病で亡くなる人が続出。エアコンや<熱さまシート>が飛ぶように売れ、コンビニでは<ガリガリ君>が品薄になったという。そのさなかの8月7日、今年の築城が敢行されることになった。
 朝から日差しは強く、海水に足を踏み入れると生ぬるい。キツい1日になりそうだと覚悟した。例によって幸山特別会員が先着。続いて“肉体労働の星”として招いた長井利元が友人の山田将登(まさと)と二人で到着。さらに、踊るイラストレーターPATA先生、脱力系イラストレーター齊藤真澄が加わり、早々に人数が揃った。さらに、夕刻登場を常とする大手印刷会社・成毛課長が早くも現われ、率先して穴を掘り始めたので一同びっくり。心境に変化をもたらす何かがあったのだろうか? 
 汗まみれになりながら砂を積み、海水をかけ、大勢で踏み固めていく。近くにビーチマットを広げているカップルや家族連れは、いったい何が始まったのかと怪訝な顔。「ここがいちばん恥ずかしいところなんだよナ」と幸山会員が苦笑する。
 そこに小笠原アリ子が、アリ子の妹とその息子(つまりアリ子の甥)を伴って到着。さらにアリコ・ジャパンへの出向から出戻った大手印刷会社社員の永瀬美由樹が加わったのでややこしいことになった(そうでもないか)。
 長井・山田両青年の働きもあって山が高くなったところで、水平線を規準にして頂上を平らにし、大バケツに詰めた砂をドカンと積む。なぜか今年の砂は粒が粗く、崩れやすそうなので少々心配。直後に不安が現実となり、中バケツで2段目を積んだところで崩落が起こった。仕方なく、遠方からきめの細かい砂を運んできて積みなおす。ここでかなり体力を消耗してしまった。
 今年の城の基本設計は、1996年に伊豆白浜で造った「階段の多い城」(本サイト『ギャラリー』の右端に掲載)の今日風アレンジ。シンメトリーに美しさがあったので、今回も極力シンメトリーを心がけたが、階段造りに情熱を燃やしていた時代の旧作には正面に5本の階段があり、いくら何でも多過ぎるように思えて3本階段とした。
 暑い! とにかく、暑い! 作業の合間に飲むビールのうまいこと。早ばやと3缶を空けてしまったが、水分もアルコールも、すぐに汗となって代謝されてしまうからだろうか、ほとんど酔いを感じない。
 城の全面が階段だらけなので、側面は切り落として城壁とした。上部にできたフラットな広場状のスペースが気になるのか、女性軍はスプーンを持ち出して掘り削り、胸壁を造り始める。この作業は、例年、手先の器用な女性が得意としており、不器用な笠井は感心して見ているだけになってしまう。
 そうこうしているうち、波が思いのほか近いところに打ち寄せてきた。完成前に流される心配もある。両青年やアリ子の甥などに頼んで、防波堤と空堀を造ってもらう。これが大きな効果を発揮して、無事、完成にこぎつけることができた。最後の仕上げは笠井の得意技。風上から白い砂を浴びせて、いわゆる「時代がけ」を行なう。ただ、風向きが反対だったので、城の背面ばかりに白砂がかかり、前面がいまひとつだったのは残念なことであった。
 まもなく波が寄せてきて、城の背後に大きな水溜りができ始める。そこに汚い泡がたまって、煮物を作るときのアクにようになってしまった。そのとき、齊藤真澄が敢然と立ち上がり、放水路を掘って、掬い取ったアクをきれいに流し出した。それまで誰もやらなかったことで、一同、大いに感心。齊藤は「バブル退治マイスター」の称号を与えられたのだった。
 波が城の足元を洗い始めたことから、主塔の倒壊も間近かと思われたが、この頃から急に波に勢いがなくなり、なかなか城に届かなくなった。写真など撮ったり、道具を洗ったりしながら30分以上も待ったが、いっこうに進展がない。業を煮やした笠井は波を導く水路を造り、土台の下を掘り込むなど、倒壊を早める工作をした。これにより、足元の砂はかなり流失したが、主塔はビクともしない。「頑丈に造り過ぎたかなァ」と一同は苦笑い。
 4時半を過ぎ、帰り支度も整った頃、中央部に大きな亀裂が入った。「いよいよだ!」とカメラを構える。2度3度と大きな波が来て、亀裂がさらに大きくなる。そして、最後の一撃。土台が波にさらわれると、主塔は前のめりになる形でバッタリ倒れ、水中に姿を消したのだった。
 3年前に例の蕎麦屋が店をたたんで以来、打ち上げをする店がみつからず苦労している。去年は焼肉店で行なったが、かなり高いものについた。やむを得ず今年は「片瀬江ノ島」駅前の橋を渡り、江ノ電「江ノ島」駅へと向かう商店街で店を探す。幸い入ってすぐの建物の2階にある「清光園」という大衆割烹が空いていたので、どやどやと上がり込んだ。酒も料理もまずまずの店で、楽しく飲むことはできたが、閉店が7時半とやや早め。「酒宴は夜が更けるまで続いた」と結ぶことのできなかったのが、ちょっぴり心残りであった。

 

砂の城


砂の城スタッフ

(前列左から)PATA先生、出戻りOL永瀬、アリ子の甥・ユウタ、小笠原アリ子。 (後列左から)成毛課長、笠井会長、複雑家庭の三男・長井利元、幸山特別会員、バブル退治マイスター・齊藤真澄、ミキサー青年・山田将登。撮影はユウママ。

恒例の扇型ポーズ。左が永瀬、右が齊藤。力強く支える成毛課長。

Text:N.Kasai

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