今年の城

砂の城 2009年8月23日(日)の築城レポート

  梅雨明け宣言の後も雨天・曇天続きで冷夏が心配された今年。我ら「江ノ城会」の築城も、当初、8月2日に予定されていたが、雨のため流れてしまった。実は、昨年(08年)も台風の襲来や雨天のため3度中止になり、ついにあきらめてしまった経緯がある。
 お盆も過ぎた8月23日の日曜日、ようやくチャンスが巡ってきた。薄曇りの天気は、むしろピーカンよりも過ごしやすく、まずまずの“築城日和”。集合時間より20分早い11時40分に到着した笠井会長は、潮の引き加減をにらみながら築城場所を探した。そこそこ良い場所を見つけてマットを敷き、スコップを立ててメンバーの到着を待っていたところ、あまり品性のよろしくない一団がドカドカやってきて、前面の至近距離にテントを張り、あたりかまわぬ大騒ぎ。築城どころではない。荷物をまとめて離れた場所に移動する。
 例によって幸山特別会員が先着し、「ただ待っていても仕方がない」と2人で基礎工事に取りかかった。実のところ、この作業を小人数で始めるところが、全工程でいちばん恥ずかしい。「あいつ、何で砂浜に穴掘ってるんだ?」と白い目で見られてしまう。だが、それを乗り越えずして、築城は成らない。
 まもなく、踊るイラストレイター・PATA先生ご一行(女性2名)、もっこすデザイナー村上祥子様ご一行(女性4名)が到着。早速、踏み固め作業に入ってもらう。実は、しょっぱなのハードな砂山積みを手伝わせようと、複雑家庭に育った旧知の青年・長井利元(24歳)と彼の友人を招いておいたのだが、複雑な理由で遅参したため間に合わず、結局、老体に鞭打つ羽目になってしまった。
 今年の城はシンプルな形状で、その分、スケールを大きくするというのが笠井会長のもくろみだった。そのため、例年のように側面や背面を大きく掘り崩すことなく、砂山の傾斜をそのまま残したので、どっしり安定した印象になった。その部分の作業は、主に初参加の女性軍が受け持った。初心者といっても、全員がプロのイラストレイター(浜野史子、齊藤真澄)、ベテランデザイナー(鶴見麗子)、腕っこき編集者(三浦響子)といったクリエイティブ系だったので、仕事の呑み込みが早く、短時間で完成に近づいていった。遅参したふたりの青年、長井利元と鈴木洋は右側面を担当。最初のうちはビビッていたが、そのうち慣れてきて、立派に戦力となった。
 こうした作業中にも、ぼちぼちと参加者が姿を現した。出向の星・永瀬美由樹、小笠原“ジャパン”アリ子、そしてふらりとやって来た第3の青年・綿貫一才。かくして総勢13名にもなったことから、前半の大働きで消耗した老兵2人は自ずと監修者のような立場になり、日が傾いて涼しくなった海風の中にたたずんで、ひたすらビールをあおるのであった。
 午後4時過ぎに城は完成したが、水際までかなりの距離があった。今年もまた位置決めに失敗し、崩落シーンを目にすることができなかった。20年近くも城をつくってきたが、こればかりはなかなかうまくいかない。責任を痛感する笠井会長にとって、ビールの味はいつもより苦く感じられた。
「すっご〜い! 誰がつくったんですか?」「時間、どれくらいかかりましたか?」「写真を撮ってもいいですか?」などと話しかけてくるギャラリーに愛想よく答えながら、一同はいそいそと撤収の準備。いつもよりかなり早い時間に砂浜を後にした。
 人数が多いことから、一昨年入った小料理屋に断わられ、やむなく小道の奥にある焼肉屋にゾロゾロと。「今年の城は出来がよかったね〜」と自画自賛しながら打ち上げの美酒を酌み交わし、来年の築城と「江ノ城会」の将来に思いをはせつつ、宴は遅くまで続いたのであった。

 

砂の城

 


 

砂の城スタッフ

今年の参加者:(前列左から)脱力系イラストレイター・齊藤真澄、笠井会長、幸山特別会員、地元じゃモテモテのデザイナー・鶴見麗子、(後列左から)お忙し編集者・三浦響子、第3の青年・綿貫一才、肝っ玉イラストレイター・浜野史子、雑食系青年・鈴木洋、複雑家庭の三男・長井利元、出向社員の星・永瀬美由樹、おなじみPATA先生、小笠原有子ジャパン。撮影は、もっこすデザイナー・村上祥子。

 

Text:N.Kasai

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